身の回りの生き物についてあれこれ書いてます。更新は1〜2週間に一度、週末です。詳しくはこちら。

2012年8月5日日曜日

悲しき処女飛行

今日はすこし悲しい話だが、おつきあいいただきたい。
休日の夕方、ベランダの植物に水やりをしようと、ホースを
握ってベランダに出た。
ぴやぴや、ぴやぴやと近くで鳥の声がする。振り返り、柵の
外をみると、至近距離でツバメが横切り旋回していった。
(わたしの家はマンションの3階だ。)そしてそれとは
別のもう一羽が、ふらふらと目の前の道路に舞い降りた。
目の前の道路は車通りが激しい。
あぶない。早く飛びなさい。ツバメはまた羽ばたこうと
する。宙に再び舞ったその瞬間、あっ。と思った時には
無情に車が通り過ぎ、地面の上でその黒い固まりは
動かなくなった。
上で旋回していたのは親鳥だったのだろう。
轢かれたツバメは巣立ち直後の成鳥だったのだろう。
親はただうろたえ、周りを旋回している。
わたしは、子供の頃、教科書で読んだ梅崎春生の
「猫の話」を思い出していた。その話の中で猫のカロが
轢かれたシーンそっくりだった。

一縷の望みを持って慌てて外に出てみたが、無惨、
わたしがエレベーターを下りる間にもう何回も轢かれ、
変わり果てた姿になり、親鳥もあきらめ、飛んで行って
しまった。せめて、マンションの植え込みに埋めてやる
ぐらいしかもう出来る事はない。スコップで木の根元に
埋めてやり、顔を上げると、 ほんのひとときの間に
夏の夕暮れは暗く沈み、最後の夕日が遠くの空を美しい
グラデーションに染めていた。
今日があのツバメの最後の日だった。
もしかしたら、世界に飛び立った最初の日だったのかも
しれない。

子供が育って、意気揚々と世界に出て行く。
美しい世界が広がっている。そして残酷な死も待ち
受けている。けれど、生き物はいつも、不安と恐れ、
そして期待に胸膨らませて飛び立って行くしかない。
わたしたちは数えきれない偶然が作る織物の生を、
その偶然の儚さに気づきもせず過ごしているのかも
しれない。

身近な目撃者としてのセンチメントが、世界で起こる
ありとあらゆる自分の知らない悲しい現実に対しては
何の役にも立たない自己満足の感情だとも知りつつ、
やはり書き留めずにいられない。

せめて、安らかに。今頃、空の高い高いところで
旋回していますように。

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