身の回りの生き物についてあれこれ書いてます。更新は1〜2週間に一度、週末です。詳しくはこちら。

2012年6月16日土曜日

ビジネス書と私小説のはざまで


ベランダ園芸をしている。かれこれ11年かそこらで
ある。最初のうちは随分と無茶をしたものだ。鉢の量も
一時期は増え過ぎ、幾多の病害虫との戦いを経て、何と
なくベストバランスを発見し、落ち着いている。が、
やはり今でも新たな発見や失敗はある。

例えば、ずっと生育がよくないなと思っていたクレマチス
の置き場所を変えてみたら、思いのほかよく育つように
なり、去年までの姿とは別人(花)のようである。
ベランダでは、置き場所はままならない事も多いが、
やはり一番大切なのは何と言っても置き場所である。人間も
同じである。自分に合わないフィールドでがんばっても
いまひとつ成果がでない。自分にあった水を得れば
のびのびと実力以上の力がすんなり発揮できる。

育て方については、試行錯誤で、園芸書に頼らない
自分なりのメソッドを発見するのも大事だ。ただ、
いつも自己流というのもよくない。うまくないときは
基本に返って、園芸書を読み返してみると、分かった
つもりになっていて分かっていなかったことに気づか
される事もある。ただ、植え替えや剪定については
必ずしもセオリー通りでなくても、自分の育てたい
サイズやスタイルにある程度あわせる事もできる。
やりたいようにやればいいーこのベランダの創造主
は私である。

かまい過ぎもよくない。特によくないのは肥料の
やり過ぎだ。むしろ少し足りないぐらいでちょうど良い。
やり過ぎは肥料焼けを起こし、最悪枯れてしまう。
人間も甘やかされすぎると増長し、ダメになる。(が、
わたしに限って言えば、わたしは完全に「誉められて
伸びるタイプ」であるので、わたしには皆さんどうぞ
あくまでもやさしくしてほしいと切に願う。)

水に関しても、基本は肥料と同じ事が言えるのだが、過酷
環境ベランダでは、水切れは即、死を意味するので、水に
関しては、通常環境よりやや湿りがちで慣れさせている。

また、かまい過ぎはよくないが、あくまで愛を持って放置
するのであって、常に様子は見ておかなければならない。
愛が足りなければへそを曲げるのは人間だけではない。
もっとも悪い事には、気づいたらハダニとうどん粉と温室
コナジラミにまみれて周囲を巻き込み大惨事、愛の復讐は
恐ろしいのである。

しかし、愛だけではどうにもならない事もある。理由も
分からず滅びてゆくものもある。諸行無常を体現するのが
庭(含ベランダ)である。そういう時は、別れを惜しみ
つつ、その空いたスペースで次は何を育てようか、と
思っているまったく薄情な自分を発見する。ひどいもの
である。
途中まで、この分ではビジネス書の一冊も書けそうでは
ないかと思いながら書き進めてきたが、最終的には愛の
無情と人間の身勝手さを描く私小説のほうがいいような
気がしてきた。園芸家は業が深い。

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